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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の六十五
【 小さな仏との絆 】

 13回忌の法要だった。夫36歳妻33歳。妻君のそばには小学生の男の子が二人神妙な顔で座っていた。この夫婦が今回の法要の願主(法要の主催者の呼び名)である。

 今から12年前、夜中の2時『娘の子供が亡くなって…』そう電話をもらい急ぎ枕経に出かけた。当時この夫婦は23歳と20歳だった。正確にはまだ夫婦ではなかったが…

 『生まれて6時間でした』私がお参り行っていた家の旦那さんが言った。仮にこの旦那さんをAさんと呼ぶことにする。事情はこうである…

 Aさんの娘さんが妊娠した。相手は交際していた彼氏である。彼氏の真摯な態度と娘さんの決心にAさんは結婚を承諾した。しかし、彼氏の両親は猛反対だった。彼氏自身の説得もAさんの話にも耳を傾けようとはしなかった。それでもお腹の子供は大きくなってくる。急ぎ結婚式の準備を娘と彼氏を交えながら進めていた。その矢先の出来事(早産)だった。

 真新しい新生児用シーツに身を包まれ、小さな小さな布団にその子は寝かされていた。今にも泣き出しそうにその子はそこにいた。彼氏だろう。いやもう父親である。その男性は目にいっぱいの涙をため精一杯の声で『お願いします』と私に言った。

『わかりました』

そう答えて静かに読経を始めた。目頭が熱くなるのを感じた…。

 今日はその子の13回忌法要である。法要の読経と法話を終えて、あらためてお参りの人たちの顔見回した。なんとも言えない感慨深いものを感じた。

 当時若かったこの夫婦に通夜の席で、二人の手を握って『別れたらダメやよ。というより、これで別れられなくなったね…何があっても夫婦でいなくちゃね』『二人が夫婦でいるかぎり、亡くなったこの子は生きているんだから。二人の間に出来た子供として。別れたら…わかるよね。いない子になってしまう。だから、二人で何が起こっても助け合って夫婦でいてね』そう言ったのを思い出した。

 『死』は『別れ』ではないことを知って欲しかった。『死』というものは、何も無くなると云うことではないと知って欲しかった。亡くなった子供が夫婦をつなぐ絆になる。それも強力な絆に。亡くなった人を『ほとけ』と呼ぶのはそのためである。その事を胸に刻んで欲しかった。そして前を向いて歩いて欲しかった。と、同時に…彼氏の両親がこれを機にますます結婚に反対しているのを知っていた。故に、話しておかなければならないことだと思った。

 思えばこの小さな仏さんには、人の強さと暖かさ、人のズルさと冷たさ、その両方を学ばせて貰った。

 ズルさと冷たさは、前述したように、子供の死さえも自分の意に沿わぬのなら利用しようとする思い。二人の間の子供が死んだのだから結婚しなくてもいいという、自分の息子とその恋人の意思や気持ちを無視した思い。若い未熟な男女を守り励まし育てるのではなく、我が思いと違うというだけで恫喝し否定する親としての傲慢さを学ばせてもらった。

 強さと暖かさは、このお葬式から2年後の妻君の言葉にあった。お腹に子供を授かった。妊娠したのである。安定期に入り元気に内からお腹を蹴ったらしい。『今回は元気に育っているみたいです』笑顔で言った。『良かったね』私のその言葉が終わるか終わらないうちに『二人分の命ですから、元気なはずです!!』満面の笑顔で妻君が言葉を続けた。『亡くなった子供』は無駄ではなかった。亡くなったと云うことが生きている人間の思いを深くした。22歳の若い女の子が『このお腹の命は二人分』だと言い切る。この心の深さ。辛く悲しい経験は、若い女の子を確実に大人の(物事を深く見ることのできる人と云う意味)女性に成長させた。『よかったね。本当によかったね』繰返しそう言わずにはいられなかった。

 この13年間、月参りは一度として滞ったことはない。毎月必ず参詣した。子供が出来てからは、その子供も一緒にお参りをした。この家では、亡くなった子供は仏として生きている。あるときは夫婦をつなぐ絆として、あるときは子に向ける愛情の中に(二人分の愛情)、そして成長する子供たちの中に(二人分の人生)……。

 法要後の簡略な会食も和やかうちに終了した。

『およばれしました。ありがとうございます』『いいえ、どういたしまして。こちらこそ、ありがとうございました』お互いに挨拶を交わし席を立った。

 辛く悲しい出来事。死と云う別れ。それをどう受け止めて行けば良いのか、どう背負って行けば良いのか。この『小さな仏』さんに再び学ばせてもらった一日だった。

釋 完修
合掌
[2012/05]

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