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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の五十四
【 悪魔か?天使か? 】

 『縁』と云う目に見えない、そして形に現せないものを日本人は大切にしてきました。『袖すり合うも多少の縁…』『これもご縁ですかねぇ…』『今回はご縁がなかったということで…』いろいろな状況で私たちは『縁』と云う言葉を使ってきました。それほど私たちの日常生活に浸透している言葉です。

 それでは、この『縁』とはいったいどういうものなのでしょうか?

 仏教には『因縁果(いんねんか)』という言葉があります。因とは種のこと。果とは花のこと。そして種から花を咲かす要因が縁と云えば分かりやすいでしょうか。種をまけば花が咲きます。けれどただ蒔いただけでは花は咲きません。土だったり、太陽の光だったり、人の手のかけようだったり、水のやり方だったり…さまざまな要因の積み重ねによたって花は咲きます。このさまざまなな要因が縁なのです。

 私たち人間は、その中に数えきれないほどの、それもいろいろな種が植えられています。生まれつき蒔かれているものもあれば、親や友達、恋人や伴侶、本や映画、出会った楽しい出来事や辛い出来事…そのことから植えられた種もあります。そのどれもが『縁』と云うその時の状況や立場。その時の自分の感情や心情で花を咲かせるのです。と、同時に私たちは種を蒔く存在でもあります。生きて生活しているそれだけで、その行動や言葉、その他の様々なことで自分以外の人に種を蒔いているのです。蒔いているつもりが有っても無くてもです。

 『縁』について分かりやすく例をいくつかあげてみます。

 私は人を殺したり刃物で傷つけたりは出来ません。そんな恐ろしいことは出来ないと思っています。今は…。でも、これが、今まさに自分の妻が子供が暴漢の手によって殺されそうになっていたら…間違いなく、なんのためらいもなくその暴漢を殺してでも妻や子供を助けようとするでしょう。自分が人を殺すような種類の人間でないから人を殺さないのではなく、そう云う『縁』に巡り会っていないからそうしないだけなのです。

『殺人者という種』も私の中には蒔かれています。

『泥棒と云う種』もあります。

今は何とか生活出来ています。しかし、これが生活が出来なくなって、赤ん坊が居て、今日の食べものにも困ったなら、迷わず、私は人の物を盗んででも赤ん坊の食べるものを調達するでしょう。

 これも『縁』の成せる『わざ』なのです。

 これが自分自身の中の『因縁果』です。

 では、しらずしらずのうちに人に蒔いていた『因縁果』は…

 ここに一人の婦人がいます。子供が成人し自分で生活ができるようになった。しかし、父親をいっこうに敬ったり感謝したりしない、もう少しなんとかならないものか…と嘆いています。そのあげく、お父さんもお母さんも自分のことは自分でしてください。老後のことは知りませんとまで言われてしまいます。その婦人の嘆きは大変なものでした。けれど…この果には、その婦人が長きにわたって、その息子さんに、父親の悪口、愚痴を話して聞かせ、勉強だけ成績だけ良ければ後は何もしなくてよいと躾や物の道理を教えてこなかったと云う種と縁の結果なのです。

 故に…『縁』とはかくも恐ろしいものなのである。

『さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし』

現代語訳

『縁と云うものにえば(その状況、立場、感情、思い)…人間は、自らの中に蒔かれた種が花を咲かせ、どのようなことでもしてしまうという悲しい生き物なのですよ』と親鸞聖人の言われた言葉通りです。

 ただ誤解しないでください。何でもかんでも『縁』のせいにして、み~んな縁にあったからだもん!っと開き直るための理由につかってはいけません。

 この『教え』は、かくも人間と云うものは…悲しく愚かで…冷たく怖い…ものなのだよと自覚せよと云う教えなのですから。故に私たちは自らの内に潜む様々な種を自覚して、その恐ろしい方の種が咲くような縁を遠ざけ、優しく穏やかな種が咲く縁にふれるようにしていきましょうということなのです。

 戦争になれば嫌でも戦地に行かされ、自らが愛する者のもとへ帰るため、銃の引き金を引かなければなりません。でも、その相手も愛する人のもとえ帰るため、銃を引かなければならないのでしょう。共に愛する人のもとに帰るために…引きたくもない銃の引き金を引くのです。引かなければ帰れない。殺し合いです。

 こんな恐ろしい縁にふれ、引き金を引くという種が咲く前に、まず『戦争』を『しない』という縁に全力を尽くす!これが一番分かりやすく、うなずいてもらえる因縁果の教えの真意だと思います。

 『朱にまじわれば紅くなる』紅く成らないように出来るほど人は強くない。故に初めから、朱にまじわらなければいい…まじわらないように一生懸命になって行く。その為には、まず自分の中に様々な種があると云うことをシッカリと見つめ、知らなければなるません。

己自身を見つめ己を知り…

一番難しくて、したくない事ではあるけれど…

釋 完修
合掌
[2011/10]

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